アクセス方法
 
戸河内ICから当館へのアクセス方法 
をクリックすると写真がでます)

広島駅よりバスセンター(紙屋町)まで市内電車がおすすめです
自動車 中国自動車道戸河内インターで下りそのまま直進
国道191号を戸河内町方面に北上
約7キロ地点落合(赤)橋を左折し800mほど進んだ突き当たりです
戸河内インターより10分 8q
駐車場:乗用車30台、又はバス6台まで収容可
バス 高速経由バスでは所要時間1時間15分!!
広島バスセンターより三段峡行きバスを利用(所要時間:2時間15分)
終点三段峡バス停より徒歩50m
 
バス時刻表(2010.09.20改正)
下り 高速 高速 高速 高速 高速 最終
バスセンター発 6:10 8:18 9:30 11:10 13:48 15:33 15:55 16:35 18:05 18:28 19:33 20:30
可部駅前 6:44 不通 10:07 11:47 14:25 不通 16:32 不通 不通 19:07 不通 21:04
加計 7:48 不通 11:09 12:49 14:02 不通 17:34 不通 不通 20:09 不通 22:02
安芸太田町場 8:09 9:27 11:30 13:10 14:32 16:42 17:55 17:44 19:15 20:30 20:42 22:23
三段峡着 8:15 9:33
11:36 13:16 14:29 16:48 18:01 17:50 19:21 20:36 20:48 22:29
上り 高速 高速 高速 最終
三段峡発 5:37 6:20 6:25 6:55 7:40 9:33 11:05 12:45 15:00 15:30 16:30 17:55 19:10
安芸太田役場前 5:43 6:26 6:31 7:01 7:46 9:33 11:11 12:51 15:06 15:36 16:36 18:01 19:16
加計 6:04 不通 6:52 不通 8:07 10:00 11:32 13:12 不通 15:57 16:57 18:21 19:36
可部駅前 7:05 不通 7:53 不通 9:09 11:02 12:34 14:14 不通 16:59 17:59 19:22 20:37
バスセンター着
7:39 7:37 8:27 8:12 9:47 11:40 14:52 16:20 17:37 18:37 20:00

JR 広島駅よりJR可部線を利用 可部駅よりバスに乗り換え
所要時間:可部より約1時間30分)終点三段峡より徒歩1分
 JR可部線は現在 は可部まで運行です。平成15年11月をもって三段峡線廃止されました
当ホテルと世界遺産の位置関係(広域図)


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世界遺産へのアクセス方法・時間
(ドライブナビゲーター参考の為、利用される道路や交通状況により所要時間は変わります)

石見銀山
・高速利用
江津IC〜戸河内IC利用、一般道含め約2時間
・一般道路
国道9号〜国道186号(石見街道)〜県道11号〜国道191経由で約3時間

安芸の宮島(厳島神社)
・高速利用
戸河内IC〜廿日市IC利用、一般道含め約1時間
・一般道路
国道186号〜国道488号線〜国道433経由、宮島口まで約1時間40分

原爆ドーム(平和公園)
・高速利用
戸河内IC〜西風新都IC・高速4号線利用、一般道含め約50分
・一般道路
国道186号〜国道191号線〜県道38号線経由で約1時間30分




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三段峡の観光情報
 
■西中国山地国定公園 特別名勝 三段峡
三段峡は全長16キロにも及ぶ柴木川(太田川上流)の雄大な断崖や瀑布などの連続する日本に五つしかない特別名勝の渓谷です。
春は、2000種の草木の新緑美
夏は、渓谷と原生林から吹き出る天然クーラー
秋は、色彩られる紅葉
冬は、入り口から見える水墨画の世界


【三段峡の楽しみかた】
三段峡の魅力はなんと言っても渓谷美です。中でも三段峡正面口から黒淵を通り猿飛、二段滝へとつづく渓谷沿いの遊歩道をゆっくり渓谷美を見ながらの散策は、心を癒してくれます。
 中でも入口から黒淵までの3キロに及ぶ散歩道は景勝地では味わえない三段峡の魅力です。この3キロは、滝、淵、断崖、大小の岩岩、原生林の森が柴木川に沿って連続的に様々な景観となって次々と展開しています。

  
 
往復20分コース  ゆっくり歩いて入口←→竜の口
 往復1時間コース  ゆっくり歩いて入口←→石樋
 
往復2時間コース  ゆっくり歩いて入口←→黒淵
 楽な一日コース  入口定期バスで出合歩いて猿飛二段滝、
           三段滝出合から定期バス入口
 1日コース     歩いて入口竜の口石樋黒淵
           猿飛二段滝三段滝出合から定期バス入口
  (健脚)                 (あるいは歩いて入口まで)

中国地方の木の種類のすべてが見られる秘境。オオルリをはじめ多種類の鳥、まばゆいばかりの新緑、厳しい冷え込みのため彩られる美しい紅葉。これらに接することで、都会のストレスはすっかり忘れてしまうでしょう。





長淵(ながぶち)

三段峡ガイド物語は、ここ三段峡正面口、長淵から始まる。
 大正6年4月23日、三段峡の大開発者、熊南峰の第一歩もこの長淵から、
 そして大正14年の国の名勝指定、昭和28年の国の特別名勝指定へと続くが、物語は始まったばかり、その話はづっと後まわし、まずは自然の観察から。
 昭和63年の大洪水以降長淵は随分浅くなったが、それ以前は川の手前に岩の飛び込み台があった。現在土砂に埋もれいる。淵は土砂で遮られることなく、長く長く続いていた。長淵であった。


長淵(ながぶち)その二

長淵は名のごとく淵が長く続いているところからつけられた。今、この長い淵を利用したカヤックが新しい人気のスポット。カヤックで水辺から新緑と紅葉を眺めて下さい。これは経験した人しか知ることのできない幻想の世界がそこにある。


寺原 てらはら

長淵の終わりかけた遊歩道のすぐ上に千坪ほどの平地があり、昔、寺が建っていたところだと「寺原」と呼ばれている場所がある。入口なのにそこは別世界、まるで京都の苔寺の庭園を歩いているようだ。


かがすばち

長淵の突き当たりから直ぐ30メートルのところ『からすばち』がある。大人一人がすっぽりと入る大きさのポットホールである。寺のあった時代臼に代用され、これを汚すと雨が降るといいつたえられていた。


寺が瀬 てらがせ

『からすばち』は川の真ん中にある大きな石の先端にある。どうしてそこに穴が空いたか不思議、自然のなせる技。この付近の瀬を寺が瀬という。


蝙蝠穴 こうもりあな

入口から3分ばかり歩くと道の真ん中に背の高い人だと頭が当たるので注意が必要な岩がある。丁度その場所に川原に下りる道が木の根で階段のようになっている。そこを下りると広い河原がある。対岸に蝙蝠が棲んでいたところから名付けられた蝙蝠穴がありその岩を蝙蝠岩という。大正時代に穴の長さ60尺とあるので18メートルあったことになる。しかし今土砂で入口が埋まっている。小学生の頃中学生の先輩と10名ばかりで探検したことはあるがそのときも穴は短かったような記憶がある。此処も静かな別世界である。

龍の口を遠くに見る

蝙蝠穴のところから顔を上流に向けると姉妹滝と龍ノ口が見える。夏に泳ぎながら此の沢を進と、ここから先は人間の進入を拒んでいる瀧と絶壁が見える。泳いでも急流で魚さえも前に進めない。三段峡は何という渓谷だろうと昔の人は唖然としたに違いない。よくも開発などと考えたものだろう。熊南峰始め先人の勇気に何と表現したらいいか。

姉妹滝(しまいだき)

当館(三段峡正面口)より、長淵橋を渡って峡谷の中に入り5分ほど歩くと、三段峡内最初の滝が現れる。姉妹滝である。姉妹滝は龍の口と景観が一体となっており、通常は3人姉妹だが、雨の強く降る日は2人になったり、豪雨の時は一人になったりと、ころころと姿を変える。湧き水で通常は一定であるが雨の日には上流では川となっている。
 四季折々に滝の表情を変え。又鮎はここまで上るが、龍の口でせき止められ、姉妹滝周辺で群れをなしている。水中に潜って見るのも楽しい。

竜(龍)の口 正面
(たつのくちのしょうめん)

姉妹滝が見える位置からロープを垂らして崖を下りなければ此の写真は撮れない。熊南峰は大正6年4月23日常市の案内で初めて龍ノ口を写真におさめる。当時は箱形の重いピューカメラを担いでの撮影。道もなにも無い時代だから、まさに命がけ。それだけにこの地を見た南峰は絶景の驚きと、此の先の渓谷がどうなっているのだろうと探検心をかき立てられたに違いない。

竜(龍)の口(たつのくち)

三段峡正面口より、長淵橋を渡って峡谷の中に入り5分ほど歩くと、渓流はしだいに激しくなり対岸の岸壁が迫ってわずか6メートルの川幅。 激流により岩盤が蛇行しながら浸食され、その姿がまるど龍のごとし、又中央に舞う水しぶきはまさに龍が噴煙をあげているかに見える。
 厳岩 煙雲暗く 激流 晴雨を作す
 自ら神龍の勢いあり 緑鱗削り成すに似たり
 (岩穴は水煙でほの暗くかすみ、激しく流れる水の音は、大雨がぶつかったようなものすごさである。滝はさながら神から来た龍の勢いがあり、滝にあたる岩肌は、龍の緑の鱗のようである。)と西善寺住職(善応)が詠じている。

竜(龍)の口その2(たつのくち)

龍の口を上流から見ると、まさに峡門である。道は、はるか絶壁の上。両側に巨岩がせり出し川幅がいかに狭いか解る。水量が少ないとき、この川底を歩いてわたり向こう岸の岩をよじ登り、竿を垂らすと驚くほど大きなアマゴが釣れる。釣れた後が難儀である。魚を落とさないように無我夢中で魚と格闘。何度も落とすが、このスリルたまらないー。

栂崎(つがさき)

龍の口をすぎると川幅は広なり瀬の音も静かになる、ここが栂崎である。
川の中央にはカブトの形をした岩、兜石がある。この場所は春アマゴの解禁時によく釣れる場所であり、カワニナの多いいとこで6月の中旬以降蛍がたくさんでる。
また栃の木が数10本あり丁度そのころ川に降りると真っ白い栃の花が咲いているのがみえる。直径5ないし6メートルの大きな栃の木もある。

五立(ごだち)

三段峡正面口より、10分ほど歩くと、山中に数百メートルにおよぶ五つの岸峰を望み見ることができる。なかには逆立ちしているような奇岩もある。五立の一つの絶壁から湧き水があり、それが赤滝にながれ落ちている。五立のうち最大なものは「庄兵衛岩」である。
 水のもに峰の五立の影みえて眺め涼しき栂の淵(さき)かな
                   (節南)

赤滝(あかだき)

五立の絶壁の中から湧き水がつくる、煉瓦を積み上げたような滝、赤滝。滝の岩肌が赤いのはタンスイベニマダラという藻の一種が岩に繁茂したためで、これほど赤みをおびたものは三段峡でも珍しい。この水も超軟水で飲むと美味しい。ただし雨の後3日間は上流の雨水の混ざりものがあるので飲まない方がいいと専門家の意見。しかし我々は歩くたびに飲んでるなー。

庄兵衛岩(しょうべいいわ)

赤滝をすぎてしばらく行くと庄兵衛岩の中をくりぬいた洞穴に出会う。決して青の同門ではありません。このトンネルを囲むように木の橋がかけられていたが、洪水の度流されるので昭和30年代に近代の技術で掘られた。
 この近くに目薬の木があり、ミソサザイというピッコロのような高音でなく可愛い鳥もいる。

女夫淵(みようとぶち)

三段峡正面口より、20分ほど歩くと、大小二つの寄り添う淵に出会う、これが女夫淵である。
上は何百メートルにおよぶ絶壁、下は深淵と橋が無ければ通れる所では無く、道をつくるのにもっとも難儀をした所と聞いている。この岩場に生える杉、松、栂の木は直径10センチ程度でも100年以上の年輪があり木々も難儀をして生えている。
 昭和27年に事故があり、其の供養の為につくられた、お地蔵さんが今でも散策者の安全を見守っている。そのお地蔵さんに今でも花が絶えない。

幻の滝

女夫淵の直ぐ上流に普段は無い滝が大雨の後だけに現れる滝。渓谷の中でも本流に滝があるのは珍しい。三段峡には、三段滝と二段滝の二つが本流そのものが滝になっている。その本流に流れ込む支流の滝は、姉妹滝とか赤滝など数々あるけれど、この滝のように大雨の時だけ現れる名も無き滝は数知れない。

石樋(いしどい)

当館より、峡谷を25分ほど歩くと、両岸が岩層によってでき、奔流が流紋岩、花崗斑岩の岩礁を深く浸食して樋の形を造るったところから石の樋、石樋と呼ばれる。河床が200mにわたり、二千坪にも余る大岩盤、見上げれば塔岩、天狗ケ岳、鯖のあたまが一望できる。
 石樋に小池があり、ここはモノアオガエルの生息地、六月には池の上の木々に泡の玉がまるで花のように見える。

モリアオガエル

 石樋の小池は、以前は今の倍の大きさであったが昭和63年の大水害により、道が流され工事改修により道をまっすぐつけたため池が小さくなった。モリアオガエルは木に生涯最後の花を咲かせ、親は池底に沈み新しい命自然の厳しさを見せてくれる。動植物については別のコーナーを設けます。

石樋地蔵(いしどいじぞう)

峡内を歩くと、お地蔵さんによく出会うが、石樋の中には自然の岩のお地蔵さんを見ることができる。
 中央にまるで祠に入っているお地蔵さん。
いや自然が造ったお地蔵さんそのもの。
 歩くばかりでなく、たたずみ眺め、耳を澄ます。日常では味わえない何かが見えてくる。

石樋観音(いしどいかんのん)

自然がつくった彫刻、今では石樋観音と呼ばれています。この観音が見える位置に休み小屋があります。自然に手を合わせたくなります。

塔岩(とういわ)

石樋の突き当たりを関附といい、関附の正面に円錐形の塔のような岩を塔岩、とういわとは言いにくいのでといわと呼んでいる。一見後ろの岩とくっついているように見えるが独立した岩である。これを上るのは後ろに廻って岩をよじ登る。昔はマッタケが生えていたが近年見たことがない。関附はぐるっと回っていてこの下をぐるの瀬という。石樋から親子岩まで見通す事ができ展望がとても美しい。
 御仏の力をかりて寺庭に移さまほしき
      塔の岩かな     (朽庵)
 塔岩の裏側の谷は深く内黒峠まで続き、二谷(ふただに)という。

二谷(ふただに)ぐる瀧

二谷は内黒山から柴木川のぐるの瀬までに至る支流をいう。かなりの急勾配の渓谷であるが人知れずなかなかの美しい滝も多々ある。二谷を踏破するには、かなりの難儀を覚悟する必要がある。塔岩の裏側から比較的近いところにぐる滝がある。

二谷(ふただに)ぐる瀧 (その二)

ぐる滝を全体で捕らえるのはなかなかアングルが難しい。二谷をぐる滝からさらに進むには迂回して安全な山道を通ることをお勧めする。

二谷(ふただに) 栃林

二谷のこの栃林の地は柴木から黒淵にいく交通の要であった。現在は誰も訪れなくなったが、以前は栃の実が沢山とれ、ここに行くのに解禁日を決めてこぞって栃拾いをしたと聞いている。一帯に数百本あるといわれているが現在では老木のため栃の実の収穫は少なくなっている。
二谷(ふただに) 黒瀧
ぐる滝の上、栃林から200メートルばかりのところに全体を一見で見ることはできないが滝がある。滝つぼのそばまで行かないと見えない黒滝である。滝つぼに行くのも絶壁、滝の上流も絶壁になっていて、安全に行くのは、それぞれ迂回しないといけない。
蓬莱岩(ほうらいいわ)

瀬戸といわれるこの一帯には巨岩がごろごろしている。蓬莱岩その岩の上に松の木が生えている。大水で流されては再び新しいのが生えてくる。遊歩道から見えるこの岩はもう60年ほど前から見ている。そのごろはかなり立派な松の木が生えていた。
瓢淵(ひょうぶち) 

蓬莱岩のすぐ上流に瓢淵がある。遊歩道から見たら瓢箪のかっこうをした淵に見えるところらかこの名がついた。この淵で尺もののアマゴを釣ったことがある。
くり岩(くりいわ) 

岩のしたが空間になっており奥深い。数十人の人が雨宿りをすることができる。あたかも岩をノミでくりぬいたように水で下方部分が侵食されている。
黒淵(くろぶち)

当館より、峡谷を45分ほど歩いたところに一大断崖に突き当たる、峡谷随一の景観である黒淵がある。この淵は以前、水深が10m以上あり、水底がまっ黒く見えていたことから、このような名称で呼ばれている。中国の赤壁に比し断崖絶壁の連続で松の木々の間には岩松、セッコク、蘭の花が咲き紺碧の静淵にそれらの影を映し、風光明媚とはこのことか。
 黒淵の手前左に行けば渡船の船着き場、番線にぶら下げてある棒を引けば、舟がやってくる。
 右の道は、私が小さな万里の長城(当時崖を切り開きすべて人力でつられた道)と呼んでいる遊歩道もあり絶壁の上から黒淵の景色を堪能できる

黒淵荘(くろぶちそう)

黒淵で渡船(片道300円往復500円)に乗り絶壁を見上げながら約5分で黒淵荘に到着する。
 三段峡が国の名勝指定になった翌年大正15年建てられた食堂売店、休憩所がある。建設当時は旅館(初代高下常市が建設。柱一本に至るまですべての資材を入口から運んだ。熊南峰の夢と情熱にかけた人生の始まり)として建てられ、当時はランプの宿として盛況だった。今井家が昭和63年の大水害にあうまで旅館を引き継いでいたが、現在は食堂売店、渡船として営業を続けている。
 ここでの湧き水(超軟水)を使ったソーメン流しとコーヒーは格別。
橋を渡ると公衆トイレがある。もちろん黒淵荘に行かなくても道がありトイレは使用できる。
 

佛岩(ほとけいわ)

黒淵から5分ぐ゛らい上流を進と道の対岸に仏岩が見える。川は急勾配に曲がっており其の先端に塔岩より少しちさい岩の塔である。この上流の瀬は鉦ヶ瀬(かねがせ)といい、寺の梵鐘がなる音がすると言われているところからつけられた名前であるが、仏岩といい鉦ヶ瀬といい、ありがたい響きがするのは気のせいか。 

雄滝(おだき)

仏岩の正面に「雄滝」と「雌滝」の二つの滝が並んでいる。手前(黒淵に近い方が)が雄滝で細く長く続いている。全体を見るのは対岸の仏岩の方から見なければならない。赤滝のように岩肌か赤くなっている。 

雌滝(めだき)

やはり仏岩の正面で「雄滝」のつぎにの滝が「雌滝」である。水量はいつも一定で、雌滝、雄滝の上流には栃の木の多く茂っている。栃の木は地下に多くの水が無ければ成長しない。

蛇杉橋(じゃすぎばし)

三段峡内で渓谷を横切る橋は、この蛇杉橋と直ぐ上流の南峰橋の二ヶ所のみである。平成5年5月に完成した。昭和63年の集中豪雨により蛇杉から南峰橋の間が土砂崩れし通行が出来なくなったので、対岸
に橋を架け又以前の道に戻る迂回道をつくった。蛇杉橋の由来は、橋のたもとにあった蛇杉其のものであったが、橋の完成後倒れてしまった。

南峰橋(なんぽうばし)

蛇杉橋を渡って50メートルばかり進み、この南峰をわたり本来の遊歩道に戻る。この二つの橋から渓谷の川の真ん中に立つことが出来るので見晴らしは格別。南峰橋は言わずも知れた三段峡の大恩人熊南峰にちなんでつけられた。三段峡の正面口には熊南峰の顕彰碑がある。実は此の顕彰碑は熊南峰のお骨が入っているので熊南峰のお墓ともいえる。熊南峰は三段峡の入口に自分の墓をつくってくれという遺言を残している。昭和44年戸河内愛郷会を発起人にして建立されたものを平成16年3月三段峡正面口に移転された。

大淵(おおぶち)
南峰橋の上流からみた大淵
 ああもうすぐ大淵だ、この坂を上れば休む岩があるからもう少し頑張ろうと思ったものだ。大淵の上には平たい岩のテーブルがあって、そのテーブルに小岩が囲むように並べてある。荷物を下ろすことなく休むことが出来た。山荘までもうすぐだと昔の強力達はここでしばしの休憩をとった。
大淵(おおぶち)
上流からみた大淵
 南峰橋を渡って200メートルばかり進むとこの大淵につく。黒淵と水梨の丁度中間点で休憩所があるのでベンチに腰掛けてゆっくりするのがよい。
 青々とそこひ知られぬ大淵をとり巻 く千代の山ばやしかな (朽 庵)
 たてまはす岩根淵の底なやみ見るだにすご き谷の大淵     (節 南)
猿飛(さるとび)

三段峡正面口からだと2時間半、水梨口からだと35分歩くと秘境のなかの秘境、猿飛につく。
 削りたつ高さ20メートルの断崖が両岸から迫り、水深7メートル、幅
1.5メートルの狭間を渡し船が進む。狭い水路を通り抜けると両岸の空間は広くなり天上のない洞窟にいるような不思議な神秘を漂わせる佳境である。
 舟がなれればこの先の二段滝は見れず、隠居さん夫婦が往復400円船賃をもらって運行している。舟の製造、維持費、舟場の維持管理に難儀をしながら、この自然のを守り続けている。
 



二段滝(にだんだき)

猿がこの断崖を飛び越えたというところから名付けられた猿飛をすすむと、ゴーという滝の音が聞こえる。二段滝である。
 音から別名「百々瀧」とも、裏から滝を見ることが
できるので「裏見瀧」とも呼ばれ、周りはすっぽりと大きな井戸を掘ったような穴の中である。大自然の傑作、別世界である。
 下から見ると大きな一段の滝である。滝の正面から高いところに上がれば二段に見えるところから二段滝と呼ばれている。
 ところが....
 





  
二段滝(にだんだき)

二段滝は文字通り二段滝であった。昭和63年の大水害の時上の一段がなくなり一段滝となった。
 このような何万年
をかけて起こる自然の浸食作用が我々の生きている時代に見られるのは希有な事である。
 一段になっても決して一段滝と呼ばないで下さい。又二段に復旧しようなどとは決して思わないで下さい。
 熊南峰、斉藤露翠の時代以前からこの二段滝は、その名前で存在した。







二段滝の上(にだんだきのうえ)

滝の上部は直角である。水はまっすぐ流れ勢いをつけ岩を乗り越え、岩盤にぶち当たり行き場を失って直角に向きを変えて滝壺に落ちる。その岩が崩壊したため岩に乗り上げず滝壺に落ちる。二段が無くなった。二段滝を上から望むと滝壺に引き込まれそう。落ちると命はない。
 
初めてここを案内された斉藤露翠(横川の神様と言われた横川小学校の校長)はその時の感動を日誌に残している。
 露翠の教え子隠居さん達が氏の意志を受け継いでいる。




鵜の子(うのこ)

 二段滝の上流、遊歩道からは見えず、道無き道を崖に沿って降りるとこれまた別世界がある。鵜の子である。大雨の後は滝のように見え、普段は石積のみ見え水は全く見えず何処が川かわからない不思議な場所である。
 知る人は少なく、魚釣りがわずかに知ることができる特権であろう。鵜の子は、上、中、下と分かれている。

鵜の子(うのこ)その2

 三段峡で鵜の子ほど景色を変える処は少ない。どこが川で水がどこから流れているかわからない不思議なところで、水は岩の間を右往左往しながら下りてくる。これが普段の鵜の子であるが、雨の多い時は上記のように瀧そのものになる。静寂な佇まい。人っ子一人もいない別世界がある。私の三段峡である。
 三段峡はどこでも、あなたの気に入ったところ、そこがあなたもの。あなたの三段峡を見つけて頂きたい。

三段滝(さんだんだき)

 水梨口より40分正面口から2時間30分のところにある三段滝。八幡川は直角に屈折し岸壁に降りそそぐ。上部は一条になって滝壺をつくり、それが二条になって懸崖を落下し中の滝壺をつくり、それが三条に別れ落下し最後は合流して大瀑布をつくる。全長75メートル幅15メートル滝壺400坪の広さ。こう形容されていた三段滝、しかし上流に樽床ダムが昭和31年造られていらい水量は半減し、水質は黒くなった。





三段滝(さんだんだき)

 熊南峰の写真集(大正15年が安芸三段峡三十三景)に三段滝を載せている。
 大正6年南峰の龍の口、三段滝との出合が16年間にわたり彼を魅了し続け最後の人生をかけた一大事業を成し遂げるのである。

 ダムができる前、大雨の時この三段滝の水量が増し三段の形が一段となって荒れ狂い彷彿する恐ろしき様を見た人は少ないであろう。








奥三段峡
(おくさんだんきょう)





 奥三段峡も特別名勝三段峡の範囲に入るとかんがえている。二段滝から15分歩くと横川川と田代川とが合流する横川出合に出る、そこは車の入れる林道がついている。

横川出合から右折し田代川を更に15分ほど歩くと広い川が急に狭くなり突き当たりに蜘蛛淵という滝で遮られている場所に出る。



 かっては、車道は無く歩くのみであった。途中で砥石郷山に登る道があるが、後で言及する。


 奥三段峡はこの横川出合から赤川(あかごう)出合(聖山から登り中の甲に入ったところ)までの約4キロをいうのであるが、現在は蜘蛛淵から赤川出合の3キロをさしている。


 三段峡(正式名称は大正14年国の名勝指定の時初めて命名された。)は、三段峡正面入口よりも田代、中の甲、餅の木など奥から早く開発されてきた。
江戸時代にはすでに鑪(たたら)ができ鉄をとっていたからである。


 現在この秘境中の秘境が、開発されずそのまま残っていることは不思議で、何時までもそのまま残すべきところであろう。


 今蜘蛛淵までは簡単で大規模林道恐羅漢線、横川トンネル前の橋手前を右に下り急カーブのところ(田代集落の田圃跡がある)を右に車を置き、林道跡を歩いて三分でいける。


 さあ奥三段峡を一緒に探検してみましょう。基本的には川に入り沢歩きで、道なき道を進むことになる。

しかし多くの人が歩いているので踏跡がわかり最初の処を間違わなければ難しくないが、やはり経験者に案内してもらった方が無難であろう。



 蜘蛛淵は以前良く魚が釣れた。ゴギである。もうここまで来るとアマゴはいない。はずである。しかし近年誰かが放流したのでしょうアマゴが泳いでいました。ふつうは蜘蛛淵を登ろうなんて思わない。ザイルを使って上がる人は本格的な沢登りの人に任せよう。


 蜘蛛淵を下に見ながらまっすぐ歩く、途中すぐ右に登る踏跡もあるがそこは行かない、しばらく歩くと。 崖にぶち当たる、その崖をよじ登るとかっては無かったロープをたどり崖に沿って曲がり下る。
入口のこの場所さえ間違わなければあまり苦労せず踏破できる。



 入口の細い通路を通り下るとそこは関門、水量が少ないときは真っすく歩けそうであるが、どうせ水につかるのであるから水に入り膝までつかる、階段のようになっている対岸の崖をよじ登り左側の対岸を進む、関門は水が多い時はとても真っすぐ行けず、多いときは股までつかる儀式を受けなければならない。ここで腰上までつからねばならなかったら、奥三段峡の踏破は水の少ない次回にすべきである。まさに関門である。


奥三段峡は、三段峡に比べスケールが小さくコンハクトである。しかしその分箱庭の様な美しさがあり、奥三段峡のどの一部でも、自分の庭に移し替えることができるならどんなに美しい光景を毎日楽しむことができるか。この日本人の感性があの京都の庭園というかたちなのでしょう。自然から学び自然を自分のみじかな世界に実現させていく。


 季節と時間により背景を変え、日々の自然の営みがその美しさを変える。


 その一コマ一コマを自分の足と感性で写し取っていく楽しみが奥三段峡にはある。


 関門から雲岩までの間、季節を変えてしばらく歩いてみよう。奥三段峡は右岸から左岸、左岸から右岸へと渡り歩かねばならない。其の道は自ずと見えてくる。歩いて初めて見えてくる。



雲岩は現在、以前とすっかり様子を変えいる。雲岩の淵はなかなかのものであったが、左岸の上部からかなり大岩の崩落があって最初に見たときは「えっー」と思った。


 関門から30分から40分歩くと雲岩につく。雲岩は奥三段峡の二番目で最後の難関といっていいところだった。


 以前は淵の右側を腰まで浸かって雲岩の右側の岩の裂け目をよじ登るののが一番簡単であった。水に濡れないようにするにはどうしたらいいかと考え右側の岩にハーケンを打ち込んでみたりしたが、かえって後から歩く人に危険な目に遭わす事がわかってあきらめた。



 この場所は水量の多いときはここほをわたるのはあきらめ手前の右側の崖をよじ登り、登りつめたところで崖を横切り下りるしか方法は無かった。


 しかし岩の崩落があって崩落した岩を伝って次の岩によじ登り裂け目の間を登っていくとこの場所をいとも簡単に通過できるようになった。


 時が過ぎれば崩落した岩は浸食され元の淵に戻り最初の方法しかこの場を通過することができなくなるであろう。


 三段峡の自然は一見かわらないように見えて刻々と変化している。 五歳のとき(山荘に住んでいた)から現在60年以上も三段峡をみているとその変化は大きい、時間を早送りすればまるで自然が動いているように見えるであろう。


 道なき道を歩き岩をはい登り落ちそうになったり実際落ちたりして過ぎ去る日々の思い出は、やはり記していかなければ過去に歩いた人(熊南峰)との比較はできないであろう。



 熊南峰の16年間に渡り探検した非常に濃い歩きには到達していないが、これからも歩き続けてどこまで偉人に近づくことができるか挑戦してみようと思う。


 奥三段峡を歩くと開発されていない時三段峡を歩いた熊南峰を感じることができる。何処に道をつけようかどうすれば多くに人が安全に歩くことができるか...想像とそれを実現した存在の偉大さ、わずか16年間でそれを成し遂げた南峰のカリスマ、すごさを感じることができる。


 しかしあえてこの場所はそっとしておこう。奥三段峡はそっとしておこう。熊南峰を感じる場所としてそっとしておこう。


 それよりも、もっと改善していかなけれは゛ところ、多くの人に安全で見せたいところが三段峡にはたくさんある。

三段峡のガイドをしている本人を登場させましょう。
熊南峰57歳の年、昭和8年12月三段峡を去る。その年になり氏(師)の意志を継ぐのは私しかいないと感じて再スタートしたときのポーズ(畳ヶ平にて)。


 畳ヶ平(たたみがなる)

雲岩から約30分上流に歩くと、岩盤がL字型になり、左側は垂直な岩盤、河床はまるで畳を敷き詰めたような層になった板状岩、その間を水が流れている庭園のごとき佳境の別世界に出会う。


 南峰は大正15年6月に刊行された山県郡写真帖には松尾の瀬と紹介している。



 耳を澄ますと小鳥のさえずり、腰を下ろして自然に(同化)なりきろう。


 畳ヶ平(松尾の瀬)から10分ばかり歩くと蜘蛛淵以来の大きな滝のある淵に出会う。ここが蛇淵である。



蛇淵は丁度二段滝を小さくして左側からみたような形をしている。又淵に入る手前は龍門ににている。昼尚暗き幽谷的であまり長く居たくないなーと感じる場所である。感じる人は何かを感じるかも..。



蛇淵を通るのは以外に簡単で左側の崖をよじ登ると上が丁度通路になっている。


蛇淵をすぎると、もぢきごうらなど続く。奥三段峡は何処が見所で何処が見所でないかと言うことはできない。


蛇淵から1時間ばかり歩くと奥三段峡最終地点お岩淵に到着する。お岩淵については数々の伝説がある。


熊南峰は大正15年刊行の「三段峡案内」の中で地元の人に次のような伝説を聞き記している。
 



【お岩と呼ぶ薄倖な女があった、彼女は石見の國の或る農家に育ったのであったが、縁あって、田代の五郎という若者に嫁いだ。

きこりであった五郎はある年職の幾人と共に此田代の奥に働くことになった、お岩はその当時身重であったので、他の同職の妻等のように良人に伴はれることができなかったので、身二つになりしだい次第後を追うこととして暫しの別離を村境で惜んだ。

田代の奥からは其後ただ一度便があっきりで、不思議にも此方からの傅言に對すろ何らの昔沙汰もない。生み落した愛らしき男の兒を懐にして単身お岩が田代の奥を尋ねだのは、良人を見送ってから七月目の物淋しい秋の半、木の葉の黄ばみ初めた頃のことであった。ああしかし、良人には既に此の時に新らしい愛人が出来てゐた、それは不圖したことから死んだ同職の若妻であったのだ、

そしてお岩を疎外し叉侮辱をさへ輿へた。お岩は逆上して仕舞った、良人を寝取られ深刻の怨みと孤独の悲しみとに耐へ兼ねて,ある夕方,嬰児を抱いて淵に身を投げた彼女の薄倖‐運命の~に弄ばれた彼女の生涯−には同情の涙を濺がすにはいられない。

『淵の上の瀧に髪を振り乱した青い顔の女が夕暮になると姿を現はす』といふ噂が立ちだしたのは、彼女が千斛の恨を歿して血相凄まじく,小屋の彼方を睨みながら死に失せた翌夕からのことであった。

誰言ふとなぐ其淵を『お岩淵』『幽霊淵』と呼んで、当時暫くの間は皆怖ち恐れて誰もこの淵に近附く者がなかったが、
しかし、其年の初雪の日に、五郎が其女の躓いたのを助けようとして共に千仭の谷底へ墜ちて惨死を遂げた後は、最う其幽霊姿は再び淵の上の瀧には出なくなったと今尚ほ里人の間に其伝説が貽されてある。】


お岩淵のすぐ上流には、いつの間にかダムが造られていた。奥三段峡の水が濁ってきたのもそのせいで、ここまでするのか、と嘆いている。此の景色は見せたくない、敢えて載せない。



奥三段峡から先は中の甲で車道にでてひたすら歩くと台所原にで更に歩くと恐羅漢山頂に行くこともできる。
テントを保持しなければお岩淵で引っ返した方が無難である。



蜘蛛淵遠景


蜘蛛淵その2


蜘蛛淵近景























雲岩(以前)


雲岩の淵への崩落(現在)

雲岩からの通路








畳ヶ平









蛇淵






もぢきごうら下流

もぢきごうら



お岩淵




お岩淵

■深入山(しんにゅうざん)

三段峡の東側に位置し、山全体が草原に包まれ、三角錐形をした、なだらかな美しい女性的な山です。標高1,153m、山頂へは約1時間で登れ気軽に登山を楽しめる。山頂からは北は遠く日本海まで、南は瀬戸内の野呂山まで眺められる360度の大パノラマは感動的。



山腹は、蔵座高原と呼ばれ昔は牛の放牧場だった広い高原があったが現在はゲートボール場などの多目的広場になっている。
 毎年四月上旬に約100ヘクタールを焼きつくす山焼きまつり会場でもある。
 山焼きは若草を早く生えさせる為に全国各地で行われているが、深入山山焼きも放牧のため行われていたものを現在も春を呼ぶ観光行事として行われている。



深入山は、山焼きが終わると若草が一斉に咲き、ワラビ、ゼンマイなどの山菜の宝庫でもある。山菜を採りながらの登山は道程のきつさを忘れいつの間にか山頂に到着する。
深入山の裏から大帚木(おおほうきやま1013.3)とその右側に太平山(たいへいざん1014.9)が見える。


又南西尾根は向眞入山(むこうしんにゅう995.2)。深入山の正面国道191線をはさんだ向かいの山を向山(むかいやま1065.8)という。向山から向眞入山にかけての西側は三段峡渓谷になっている。


 向山の頂上には以外に知られていないがブナの木の大木が10本ばかりある。向山に登るのは今水飲み場となっているイヌガ谷から登り稜線を歩くのが比較的簡単。向山は三段峡正面口の発電所横の山道からも時間をかければ登れる。山は上に上に頂上を目指せば迷うことはないが、頂上から下りるときは良く道を知らなければ迷う。特に三段峡は迷うと絶壁にぶち当たり下りるのは不可能なところもあるから注意が必要。
























■恐羅漢山(おそらかんざん)

標高1347メートル広島県最高峰の山。写真で頂上が見られる山は少ないが、スキー場の全景を写した写真で見ると恐羅漢山の姿が良くわかる。左側のスキー場ゲレンデの一番上から約100メートルのところが頂上である。


恐羅漢山頂を目指すルートとして、1.左側のゲレンテを頂上目指してまっすぐ登るルート(少しきつい)、2.牛小屋から尾根を歩き夏ヤケノキビレを通り山頂を目指すコース(楽)、3.中ノ甲終点広場まで車で行き小人小屋谷の山道(車道)を歩いて尾根に到着し山頂を目指すコース(長い)、4.そのほか匹見亀井谷から登山するコース(間違ってさ山頂からこちらに下りた人もいる)..など何せ大きな山だからいろんなコースがある。


戸河内むらおこし事業委員長をしていただいた広島女学院大学の桑原良敏先生(故人)によると広島県最高峰、西中国山地最高峰の山は恐羅漢山と言われているがその南隣の旧羅漢山の方が高いと(昭和55年版の地図)記されている。恐羅漢山は1346.4メートル旧羅漢山は1347メートルで0.6メートル旧羅漢山が高いそうだ。しかし実際登ってみると頂上に大きな岩が有りその上に立つと標高版より岩がかなり高い、登って体験して頂きたい。冬以外は頂上に木が茂って見晴らしは悪いが、積雪が多いい時期に登ると360度パノラマの展望を見ることができる。


恐羅漢は年間降雪量が平均して5メートル、昭和38年の大豪雪では陸の孤島になりヘリコプターで食料物資を送る大騒動になる
程の積雪の多い処である。
 その翌年父と柴木から歩いて恐羅漢に行ったが3月の末だったのにも関わらず電柱の電線をまたいで通るほど積雪が残っていた。その2、3年の大豪雪でスキー場ができるまで過疎に拍車をかけた。
 雪も多く気温もマイナス15度にもなるため西日本では珍しい樹氷も見られる。


雲海といえば三次盆地の雲海が有名だけどここ恐羅漢と内黒山から時々雲海を見ることができる。
 春には山菜の宝庫で、山菜を採りながら登るといつの間にか高いところまで登ってしまう。そこで一休みしながら下界を見ると、なんと綺麗なことか。


雲海の上から朝日が登るのを見ることができるのは頂上でテントをはる人か、圧雪者の特権かもわからないが、それも希有の事です。1965年頃にはスキー場も出来ていなかったので中腹を基地として砥石郷、十方山などに良く登ったものです。

 

  
近隣のスキー場
当館より各スキー場へは車で30〜45分で行けます。
 
■恐羅漢(おそらかん)スキー場

広島県スキー史によると日本スキー事始めは明治44年新潟県で、広島県では川本老介氏が昭和2年信越地方におもむきスキー技術を習得し、スキーの普及に努めたとある。
 恐羅漢スキー場には昭和42年川本老介氏の意志を継いだ三段峡観光(株)がスキーリフトを新設し、昭和48年大阪営林局が隣のゲレンデにリフトを新設した。現在はそれらを統合して(株)恐羅漢が運営している。
西日本では最高の積雪と雪質を誇りシーズンには、県内外から多くのスキーヤーが押し寄せ、初級から上級まで滑れるゲレンデは人いっぱいでにぎわっている。



当スキー場と提携しており
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ご利用できます。
恐羅漢スキー場(0826)28−7007
  
恐羅漢スノーパーク
旧国設と旧民営は統合され一つのスキー場になりました
お問合せ:(0826)28−7007
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