熊南峰写真帖 安芸三段峡三十三景 と 三段峡案内
  

安芸三段峡三十三景写真帖発行の辭

 三段峡は、廣島市を距ること西北十四里、太田川の上流山縣郡戸河内村字柴木より、更に其上流延長約二里にわたり亙り連續せる三十有余の原始的景勝を抱擁せる峡谷を稱す。峡中奇岩あり、太絶壁あり、洞窟あり、飛瀑あり、奔流あり、其山容の奇、水態の妙に富める、彼の寝覺、耶馬渓よりも卓越せること、探勝者の等しく唱ふるところにして、実に驚異に植すべき天下の絶勝地なり。 舘員熊南峰、教年来屡々危険を冒して此地を探検し、本年に入りても既に十数回に及び、レンズに収め得たるもの亦無慮百有餘種に上る、今や探勝者相踵ぎ、勝影を懇望する漸く多からんとし、一帳を編みて世に公表するの時機正に熟せるを覺ゆ、則ち粹を抜き三十三種を採り、鮮麗優美の體を整へ、茲に普く世に頒布せんざと欲するに至れり。想ふに驚異の目を崢り、感嘆の声を発し、更に遊意勃々禁する能はざるものあらん。以て辞となす。                   
大正十一年九月大島写真舘主 大 島 邦 清










       天下の奇勝三段峡案内
自 序

 自然に親しみ、其秘める偉大の力を感得して純真剛毅の精神を涵養し、山野の跋渉によりて強壮頑健の身体を鍛錬し、これらに伴う清興のために身神の慰安を得ることが、生存競争の激烈なる現下の世相に処する国民の採るべき合理的方法であり、必要事であるとすれば山容の奇、水態の変化に富み天下の絶勝として中外に高唱せられつつある神秘的景趣を有つ我三段峡は、此要求に対して正に好適の地と謂うべきであろう。

 此「三段峡案内」は三段峡を研究し又は探勝する人々のために、幾分なりとも参考になり、便宜ともならしめん目的で、私の過去十年間に得た実験と観察とを基礎とし、奥三段峡の一部と八幡高原とを加え、全編を十七頁に分つて、主としてこれらの情景に関し記述したもので非才敢えて省みずこれを公にした所以は、一に峡谷の発展をのみ日夜冀ふて已まぬ私の微衷に外ならない。 読者幸いにこれを諒とせられよ。  大正十五年十月   南峰

 三段峡中に存在する景勝は五十余景に達する、今南ロより逐次探勝順序に従ふて其説明を試みてみやう。 



                  

    龍の口(たつのくち) 寺ヶ瀬から上流を望むと、一町ばかこ前方に龍の口が見える。上の徑に這ひ登って近寄って視ると、高さ四十尺ばかりの巨岩が儼然と相對して、其間の六尺にも足らぬ狭門を轟々として怒流猛烈に争ひながら迸り出て、紺碧の淵底深く渦巻き隠れ、水面に潜魔の為すかの如き浪を立て、見るさへ身の毛もよだつ恐ろしさを覺える。對岸龍谷川端末の『姉妹瀧』が二條の白布を垂れて淵に臨み、潺々たる女性的の響きを狭門の雷聲に和して甲乙の妙音を作り、そを欝蒼たる雨壁に郤せしめて、却て一層の凄味を加えている。淵の廣さは五十坪ほどで、旱天の時でも石を投げ込むと、忽ち黒雲が起こって雨が降ると言い傅へて、土地の人は今でも甚く怖れている。

巖穴烟雲暗 激流狂雨聲 自有神龍勢
 緑鱗似削成(善應

数十年前までは、狭門なるものは無くて、連続せる一枚巌であったため、恰度龍が水を吐くやうな形になつて飛瀑が壮観を呈していたと言ふこしであるが、流木のために邪魔になるとかで岩を爆破して仕舞つたのである。産業上巳ひを得なかつ記とは謂ひながら、まことに取返しのつかね惜しいことをしたものである。狭門の流れが余り急なために、鮎やイダは最うここ限りで上り得ないが、鱒と鰻だけはこの激流を突破する。初夏の季節に鱒がこれを飛び越える状は勇士を偲ばせる。また小鰻の岩壁を傅ふて、幾たびか飛沫に浚はれながらも屈せす匐ひ上らんとする幾千幾萬の群れを見るとき、其堅忍不抜の気象に驚嘆を禁することができない。白岩の壁面に蠢動せる彼等の集團、それは余りに見ることのできない一奇顧であらう。

落ちもせば逆巻く浪や呑み込まん龍の口てふ恐ろしき淵  (國臣)

岩淵に白渦たてて吐く水のおくもしられぬ龍のくちかな  (節南)

龍の口けふ來てみれば岩根とよむ水の音にぞおどろかれける (春山)

つら骨と見えてかしこき岩間より瀬浪渦巻く龍の口かな   (朽庵)

龍の口に殆ど接した上流に『水鳥淵』というのがあって、其西側に『高臺岩』といふ材木岩が聳えている、高さ凡そ百尺、石理鮮美である。

    栂崎(つがさき) 龍の口を遁れるようにして、急ぎ足で岩盤上の路を行くと、河幅が急に濶くなり瀬の音も静まつて何となく救われたやうな落着きを覺えて來る、と、河は程なく左へ曲がって正面に『五立』の險崖を望む、此處が栂崎である。龍の口から距離僅かに三町に過ぎない。大石亂布の間を、丁度平和の象徴其ものの如き清流の囁に聴耳立てる姿で、聳ゆる五立と、その彼方より流れ來る白き瀬を背景にして、枝差し延ばす五六株の栂の風趣、好?題たるを失わない。   石の樹蔭に佇むと、何とも云ひしれぬ薫りを含んだ涼風につれて、幽かにきれぎれに河鹿の聲が聞こえてくる。栂崎の特色は、風光の明快なのと一つは此の可愛い聲とである。水のもに峰の五立の影みえて眺め涼しき栂の淵(さき)かな (節南)

    女夫淵(みやうとぶち) 今にも崩れかかって來さうな五立の岩根をこわごわ通り越して、ホツト一息吐くと,其處は『鵯越』の険坂で、女夫淵はすぐ其左に一種の凄味を帯びて我等を脅すかのやうに黙々としで淀むでゐる。険坂に架けた長い梯子を慄えながら面白がりながら昇った過去を懐ひ浮べつつ、岩根の桟道を渡って淵の上手に出ると、川の屈曲點に其の三方を岩垣屏風で建て廻はして、宛ら生きてでもゐるかのやうに白い泡を吐き出ながら、静かに紺碧の水をウネリ返している六十坪ばかりの底知れぬ女夫淵が目の前に展開する。削立せる周りの奇岩に、庭木そつくりの枝振り面白き樫、栂の類が丁度淵を保護するかのやうな姿勢で其手を差し伸ばして生ひ茂れる中に、名も知れぬ小鳥の澄み切つた聾の反響を漂はして、淵の凄味を調和して我等に幽邃の感じを與へる。
中あしきえにしなるらん來て見れば浪風さわぐ女夫淵かな 
(春 山)

    女夫淵(みやうとぶち)其の二

●石樋(いしとひ) 女夫淵に續いた上流約七百尺の間は、左は高い断崖の連互、右は二千坪にも餘る長方形の大岩盤で、奔流が其間を深く浸蝕して樋の形を造り、水の偉力を遺憾なく示して滔々と勢凄まじく走つてゐる。この石樋の跡を仔細に観察すると、いかに三段峡の創造が遠い昔であつたかが首肯かれる。      廣い岩盤上のここかしこに、躑躅、藤、山吹などの咲く初夏の頃になると、行厨を 携へた花見客が三々伍々集つて來て、楽しい一日をここで過ごして歸るのである。 下手の西岸に『女夫瀧』といふ可愛い二條の小水簾が懸つてゐるが、高さは石樋の長さほどだと云ふことである。

●二谷尻(ふただにのしり)

蓬莱岩

瀬戸(せと) 瀬戸とは天狗ケ岳の東麓附近一帯をいふ。中流に横臥せる巨岩の上に孤松の立てる『蓬莱岩』
蓬莱の岩根に瓢(ひさご)かけをきてたれを松木の渡しなるらん
(節 南)

    ぐるの瀬 関附の堀割に足を停めて前方を見ると、天狗ケ岳の麓邊りから、長い瀬が足下へ迫るやうに展開してゐる。大小数知れぬ岩石の縦横に起伏する間々を、右に走り左に廻りながら、瀬となり淵となって、小急ぎに流れる巫戯たやうな水態、所謂ぐるの瀬の名に適はしい。端末に注ぐ二谷川の渓瀑が木の聞隠れに見へる邊りから、天狗ケ岳にかけて明るい風光、捨て難いものがある            。

 來て見れば水ぐるぐる輪を巻きてげに面白き瀬もあるかな    (節南)

瓢淵より親子岩を望む
●瀬戸(せと) 瀬戸とは天狗ケ岳の東麓附近一帯をいふ。天狗ケ岳の東側俚稱『どん亀』と呼ぶ断崖上に哀れを想はする如き二個の岩塊なる『親子岩』其下に奔流をうけて渦巻く『瓢淵』などが散在して、全體の風光甚だ明快である。

睦まじき庭をっくりてどん亀の親子の岩や幾代經ぬらん    (朽 庵)

瀬戸の鑿岩

瀬戸(せと) 瀬戸とは天狗ケ岳の東麓附近一帯をいふ。
数十人の雨宿りに適する『くり岩

來て見れば住み心地よしたがために瀬戸のいはやは神のくりけん(朽 庵)

●天狗ケ岳(てんぐがたけ) 本流ぐるの瀬の左に、高く聳立する一大絶壁で、昔天狗が棲んでゐた處だと言ふので斯ふ名づけられたのであらう。高さ實に一千尺、壁面凡そ千五百尺に達する俊削せる如き花岡岩の大露出で、成風堂々四邊を壓して偉觀を極める。

    ぐる瀧(ぐのたき) 本流を暫し離れて、二谷川の渓流を上って行くと、塔岩の上手に方つたる音が聞える。これが『ぐる瀧』である。翠緑滴らんばかりの下に、雅谷の岩間を一段、二段、三段と,右に向き左に回りながら落つる水の風情、なかなかに面白い。

  渓深く山高くして見る人の眼をぐるぐるとまはす瀧かな (朽 庵)

    塔岩(たふいは) 關附の眞正面に見える圓錐形の岩がそれで、本流と二谷川との隅角に突兀して峭り立っている。高さ三百尺餘り、松、栂などが堅い岩盤に根を下ろして清雅の趣を整へ、観客に歎賞の聲を放たしめる。西北の山道へ立って眺めた形が最も好い。

御俤のカをかりて寺庭に移さまほしき塔の岩かな(朽 庵)
いにしへの法の聖の水汲みしかたみに殘る塔の岩かな (園 寺)

    二谷(ふたたに)の栃林 ぐる瀧の上流に接して、長さ一町ばかりの間に数百株の老栃樹が密生して天を掩ふてゐる處がそれである。

栃の木句のかげも涼しく二谷の岩間隠れに湧きいづる水  (青 山)

栃の木に生ふる葱のあるを見てさすがに深き山としぞおもふ(春 山)

とち林日影をさふる二谷はふたたび來たき所なりけり   (朽 庵)

立岩(たていわ) 長瀞、柴堰あたりから打ち仰ぐ立岩は山腹三町に在る。近づいて見ると、高さ六十尺程の巨岩が今にも倒れ懸りさうに突き立つてゐろ。岩頂の廣さは五坪ばかりで裏から攀ぢ登ることができる。

 白雲のたちまく峰の立岩は天の川より運びきつらん     (朽 庵)

    大岳(おおだけ) 立岩から西南更に約三町の山上に聳える。立岩の三倍大で上部が三分し、其隙間に木が立ち罩めて、鷹が巣を構へてゐる。此の附近には此の他『釣鐘岩』『猿岩』をはじめ、数多の奇岩が散在し、また『地獄谷』と稱へて見るからに身の毛もよ立つ恐ろしい峻谷もあるが、一帯の山が甚だ嶮岨であるために、これ等を悉く探究すなといふことは危険と困難との伴ふを免れない。 
 岩角は劍の山の心地して名もおぞろしき地獄谷かな(朽 庵)
そそり立つ大岳岩のつたかづらたな引く雲と見え渡るなり (園 寺)
名にしおふ釣鐘岩をかき鳴らす橦木は谷の嵐なりけり   (朽 庵)

    黒淵(くろぶち)その一 瀬戸を去って、岩に激して咆哮する瀬の昔に耳を聾せられながら三町ばかり上ると、徑は一大断崖崖に突當る、ここが峡中有数の勝地黒淵である。

    黒淵(くろぶち)その二 右へ山を超すのが順路ではあるが、景趣を充分に味ふとすれば舟で通過せねばならぬ。淵の兩側は、高さ五十尺乃至三百尺に達すろ断崖絶壁の連互で、姿勢の好い矮樹が際どい巖角に點綴して風致を添ヘ、中に淀める紺碧の静淵がそれらの影を宿し、鼠光明媚である。文士がこれを赤壁に比べてゐるのも左もあるべしであるが、紀州の瀞八町の景に髣髴たるものがある。
樹皆掩石著粧新 岩悉帯苔分色勺 倒影濃淡倶在鏡 恍看龍女浴?淪 (犀 東)

黒淵の岩垣屏風折目毎にかはる景色のおもしろきかな     (朽 厖)

  黒淵の底は何とも分らねども渡るにやすき浪のしづけさ (春 山)

●佛岩(ほとけいわ) 黒淵の二町の川上、流れの左へ折れる隅角に屹立してゐるのが佛岩である。形は塔岩によく肖て高さは少し低く、對岸の『雄瀧』『雌瀧』二條の小瀑布と相面して好い對照を成してゐる。西上流を望むと、翠巒に挟まれた白い『鉦ケ瀬』の河原が遠く『木串』の邊りにまで帯の如く延びて、其端末を斜陽の影の中に没し、下流黒淵の方に眼を轉ずると、幾多の峭壁の重疊せる遙か彼方に、天狗ケ岳の頂の奇巌を白雲搖曳の間に眺めることができる。雨後の霽れ間にこれを見ると、濃淡さまざま靄が、谷間、頂きの邊りに漂ひ、山容に釧々の變化を現はして豪宕な筆勢の墨繪を聯想せしめる。昔この岩から時々鉦の昔が聞え、瀬に響き渡つてゐたとのことであるが、佛岩とか鉦ケ瀬などの名稱はこんなことから生れたのであらう。

 あやまちて我もし死なばそれながら救ひましませみ佛の岩   (園 寺)

鬼すまん荒山中に思いきやみ佛のゐます岩あらんとは   (汚 厖

●木串の瀬(きぐしのせ)

●木串(きぐし) 佛岩から、木串へ向って進む左岸の路は、對岸に見上げるやうな険崖『鷹の巣』を望みながら、滴る如き緑の枝差し交はす間を通るやうに設けられてあるから、泌々と深山幽谷の跋渉気分を味ふことができて、行くにつれて所謂三段式の色彩がだんだん濃厚になるのを覺える、家郷と思ふと輕い哀愁をさへ感ぜしめる。串は、家を押し潰したやうな数個の巨岩の横臥せる中を、怒りに耐へぬかの如き奔流が、弾ぢ切れさうな勢で迸り出て、淵に渦巻く男性的な情趣の漲ってゐる處で、佛岩より七町ばかりの上流に在る。近頃運材夫がよく不思議な死方をするといふのでこれ等仲間に怖れられてゐる。上流に『蛇小屋淵』『枯松淵』などの物凄い淵もあるが略する。

●大淵(おおぶち) 木串から約五町を上ると大淵へ着く、断崖に圍まれた百坪ばかりの深淵で、何時來てみても幽邃の趣は失せぬが十月中旬頃の紅葉季が眺めが好い。昔は溺死者の多いので恐れられた魔所であったが、今は鰻がよく釣れるので人に喜ばれるやうに變ってきた。毎年寒くなりかけると、何處からともなく夥しく鴛鴦が集って來るが、翌年暖くなりかけると復た去って了ふ。淵から半町程下流の左岸に『蛇杉』といふ老杉が岩間に窮屈さう生えてゐる。幹は極めて短いが、四抱もありさうな大きい根の、大蛇の蟠ってゐるやうに巻き固まってゐる奇観は一見すべしである

●大淵(おおぶち)上流より見た大淵
青々とそこひ知られぬ大淵をとり巻く千代の山ばやしかな   (朽 庵)

たてまはす岩根淵の底なやみ見るだにすごき谷の大淵   (節 南)  

   耶源(やげん)
 柴堰から更にかりの三町ばかり上ると、對岸に高さ二百尺、幅四百尺ばかりの垂直の大絶壁が、突亢として眉端に迫るつて聳え立ち、儼然と脅威の姿勢を保つてゐる。見上げた眼を下に轉じて脚部を見ると、また水際の浸蝕の奇態に驚かされる。ここが耶源である。昔からよく岩茸採が墜死するので其名が高い。   

 そびえ立つ耶源の岩の恐ろしく身を粉に砕く心地こそすれ  (朽 庵) 

    出合淵(であいぶち)
 深入山を水源地として主流に注ぐ支流が二つある、小板川と水梨川がそれで、出合淵は水梨川と本流との合流點に在る。西岸から長い淵の上を掩ふやうにして枝を差し延べてゐる木々の姿が淵に倒影してゐる静寂のおもむき、前途を急ぐ採勝者も思わず足を停める。

水なしの出合の淵のそこふかみ苔の色さへ深くみえつつ   (節 南)

●横川出合
(よこごうであい) 

*八幡川と横川川の合流する場所

猿飛(さるとび) 五郎堰を越えると三段峡五大壮観の一である名高い猿飛へ達する。高さ六十尺乃至八十尺の苔蒸せる断崖が二百尺の長さに亘って近く相對立し,其中に澱める底知れぬ紺碧の淵は、高き兩壁と其上に生ひ茂れる緑樹のために晝尚ほ暗く、陰凄の氣を漂へて觀者をして神秘の霊感に打たしめる。古來種々奇怪なる傅説を生んだ魔所で今でも土地の人は甚く怖れてゐる。

八萬四千嵒作門 重巒層嶂劃天関

斐乎瀑亦爭文彩 停枝名渓第一源

楓錦秋殘小蜀江 危嵒飛瀑總成雙

誰頒玉女粧餘水 煎作六花來?

●二段瀧(にだんだき)  猿飛を出ると、すぐ?鞳たる瀧の音が聞こえる、これが二段瀧である。二段瀧は一名『百々瀧(ごうごうだき)』ともまた瀧を裏から眺められるので『裏見瀧』とも呼ばれ、峡中五大壮観に列してゐる。横川の全水をうけた高さ六十尺、幅二十尺、二段となって落ちる飛瀑で、瀧壺の廣さは百五十坪に達し、四邊に翠緑を負ふて風趣甚だ幽邃、秋季紅葉の眺めは華美である。

千早振神代に水の落ち始めて萬世とよむとうとうの瀧  (朽 庵)

二段瀧とめ來て見ればとうとうと岩根落込む水の雄々しさ(春 山)涼しさをみな集めたる心地して秋おもゆる二段瀧かな  (節 南

   横堰(よこぜき) 藤ケ瀬へ戻って、其處で一夜を假寝する人は別として、行程の都合で直に八幡川の本流へ進む人は『中山』の肩越しから横堰を目指して行くのを順路とせねばならぬ。横堰は、横川を辭して七町ばかりの行程の八幡川本流に在る。大石縦横に亂布された間を、此方彼方より奔出する水の態は實に奇観を呈して、一名『猿猴の子がやし』と唱へて陰凄を以て聞こえてゐる難所であり、又一名勝でもある。此の付近や、猿飛、葭河原、大淵邊りで露営すると、時として、夜間に丁々と伐木の音が聴えて來る、また大石が川上から轉げ落ちるやうな響がすることもある、土地の人はこれを天狗の仕業だと言ってゐるが、今に其謎が解けない。時として白晝でも今尚ほこんな事に出會ふことすらある。行く水の怒りて狂ふ態すごし早溪川の水の横堰   (朽 庵)

    槇ヶ瀬(まきがせ) 横堰の上流約四町。二三の槇が其枝を搦み合はせながら,岩間を緩くまた急がわしく流れる瀬に配合せる風致、新緑のときの趣も好いが、秋の紅葉季の眺めは亦格別である。          みつ枝さす瀬の岩が根を水渦巻きて落つるおかしさ    (節 宿)
來てもきけ茂るみ山の槇ケ瀬に聲もすゞしく蝉ぞ鳴くなる 
(春 山)

●三段瀧(さんだんだき) 三段峡五大壮観随一の勝景で『三ツ瀧』に對して雄瀧と将へられ棋ケ瀬から二町の上流河の屈曲點に在る。槇ヶ瀬を出ると直ぐ行手に方つて遠雷のやうな響が聴える、それが三段瀧である。正面に立って観ると、先づ一條の飛曝が高い彼方の岩間よ落ち、次に二條となって飛び、碧潭を湛へて最後に三條となり、中途から一條に合して瀧壹の底深く突入する、全長二百五十尺、幅平均四十尺、濛々たる水煙を漲らして霧を生じ風を起しながら、雷の如き響きを四邊の削壁に轟かせつつ、四百坪にも餘る底知れぬ紺碧の淵に絶えず自泡の渦巻きを湛へてゐる態、壮絶、到底筆舌の盡し得ざる一大偉観である。凡そ天下の景勝を云爲鴬する者は、先づ一と度び此の絶景に接してみて後他を評すべきであらう。 

●三段瀧(さんだんだき)の一部

犀 東
下上縣岸絶壁危
 瞰來跟底粟生肌

幸尋名瀑入薦境
踏棧芒鞋回亦遲

排空筍立幾?? 
危棧高通巨瀑隣

看自潭北到渓北
峡天三段各生新

  渓樹潭雲似蜀中 
巴詩?殺劍南翁

好將三段當三峡
傾瀉天瓢孰是雄

來て見れば雄々し珍らし三段のたきにはならぶ瀧やなからん (朽 庵)
◇◇の神のいかれる心地して轟きやまぬ三段の瀧(節 南)君にきく三段瀧に來て見れば寒きしぶきに袖のぬれつつ   (青 山)
大雨のため水嵩が増してくると、三段の形が一段に變って、怒り狂ふて咆哮する様の恐しさと岩壁を撲ち返す咫尺も辨ぜぬ濛々たる吹霧とのために一町四方へは寄り附くことができない。

   葭河原
(よしがはら)
 出合淵に続いて『金の蔓』の淵があり、河を左に曲って『森木淵』、次に右へ折れるとすぐ『横川』の合流點へ達する。葭河原は其中間左岸の楽園のような磧で、時々臨時宿泊所を設ける處である。見上げる高い翠巒の麓を、曲線を描きながな流るる河邊に佇むで、暫しけふの疲れを忘るるときの心持、山岳家ならでは味ひ得られぬものである。

葭河原まさごの上にまどゐして語るも嬉しけふの山踏み(園 寺)

葭河原の對岸左端の木の茂みに、今尚ほ點々と殘されてある圓石は、昔加計の佐々木家の鼓鑄夫の墓である